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福井地方裁判所 昭和36年(ワ)9号 判決 1962年12月21日

原告 岩崎安秀 外一名

被告 有限会社五十嵐キネマ商会

主文

一、被告が、原告らに対し、昭和三五年一一月三〇日付でした解雇の意思表示は、無効であることを確認する。

二、被告は、昭和三五年一一月二六日以降毎月二六日限り、

(1)  原告岩崎安秀に対し一カ月金一九、〇〇〇円、

(2)  原告谷口三嘉得に対し一カ月金一三、〇〇〇円

の各割合による金員を支払え。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立

原告ら訴訟代理人は、主文第一項ないし第三項と同旨の判決、ならびに、仮執行の宣言を求め、

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告らの主張

(請求原因)

原告ら訴訟代理人は、その請求原因として、つぎのとおり述べた。

一、被告は、武生市内に、武生劇場、および、宝塚劇場を所有し、これらの劇場で映画興行を営む有限会社である。

二、原告らは、武生劇場の映写技師として勤務していたものである。

三、ところが、被告会社は、原告らに対し、昭和三五年一一月三〇日に、左記の二点を理由として、就業規則第二二条第二項に基づく普通解雇の通告をなした。

(1) 昭和三五年一一月二七日付を以つて、原告らに対して、武生劇場から宝塚劇場への配置転換業務命令を命じたが、原告らは、これに従わなかつたのであるから、業務命令に違反する。

(2) そこで、右の業務命令違反に対し、同月三〇日付を以つて、原告らに対して懲戒処分としての出勤停止命令を発するとともに、仕末書の即刻な提出を命じたのであるが、原告らは、これらの命令に従わなかつた。

四、しかし、被告会社がした原告らに対する右解雇通告は、後記のとおり無効である。

すなわち

(一) 原告らの団体行動

(1) 被告会社の従業員は、昭和三五年八月二六日に従業員二三名で以つて労働組合を結成したのであるが、それとともに右組合は、武生市内の各中小企業の労働組合が加入している武生合同労働組合(以下合同労組という。)に加入して武生合同労働組合五十嵐キネマ分会(以下分会という。)と称した。

(2) そこで、原告岩崎は分会長に、原告谷口は執行委員兼会計係に、それぞれ選出せられた。

(3) 分会は、同年九月一三日被告会社に対し、四割のベースアップを要求して団体交渉を申し入れたが、結局、被告会社側の一方的要求拒否にあい、やむなく同月二二日、二三日の両日に、四八時間のストライキを実行した。けれども、分会は、その後も被告会社に団体交渉の申し込みをしてきたが、被告会社側は、がんとして団交を拒否し、はては、同月二六日に至つて突如として、武生宝塚両劇場の休館を宣言した。

(4) そこで、分会は、翌一〇月二〇日福井県地方労働委員会(以下地労委という。)に対し、被告会社の団体交渉拒否を理由に、不当労働行為申立を行つたことから、地労委のあつせんで、同月二四日労使間に「平均二割六分のベースアップの実施、および、被告会社は、本件紛争に関して、右分会員に対し、一切不利益な取扱をしない。」旨の条件などを含む六項目の協定が成立して、ここに争議は妥結をみた。

(二) 被告会社の不当労働行為

(1) 原告らは、前記争議において、分会役員として積極的に活動し、分会の団結の要ともいえる指導的役割をはたしてきたことから、被告会社は、原告らの行動を苦々しく思つており、前記争議の最中である一〇月一九日に、争議からの原告岩崎の切崩しを考え、「大阪の母が病気である。」という趣旨のにせ電報を打つて同人を大阪へ呼び寄せたうえ「当分の間母の看病という名目で大阪にいて呉れ、大阪の滞在費は、当方で負担するから。」などの甘言などを以つて、組合運動からの離脱を誘惑した。

(2) 被告会社は、争議妥結の後、分会員に対し、「一〇月二四日の労使協定には秘密協定がある。」とか、「秘密協定の条件付で争議は妥結したのだから、労組の負けだ。」などと、宣伝し、分会執行部に対する不信をかもし出して、組合の分裂、弱体化をはかるなどの言動をした。

(3) さらに、被告会社支配人大木文雄らは、分会員に対し、組合を脱退するよう説得するなどの行為をして積極的に組合の破壊工作を行つた結果、同年一一月九日の、分会員黒川千恵子ら四名の女子分会員の組合脱退を皮切りに、連日組合脱退者が続出し、そのため、当初二三名であつた分会員も一六名の大量脱退者のため、同月中頃には、僅か七名になつて、分会は、結成後日浅くして、事実上壊滅的状態に追い込まれた。

(4) そのほか、一一月一五日被告会社は、組合活動家である原告谷口に対し、「組合をやめた方が身の得だ。」と組合脱退の勧誘をした。

(5) また、同月二五日夜、争議妥結に基づく新給与の説明と、懇親のための会合が、被告会社主催で行われたのであるがその帰途、組合活動家である谷口実(副分会長)が江戸信一郎に対して「建設中のロマン劇場ができたら、組合活動を活発にやる。」と洩らしたことが、被告会社社長の耳に入り、翌二六日に右谷口実は社長に呼びつけられ、「江戸君から聞いたが、そんなに組合運動をやる奴は今日から仕事をしなくてもよい。」と叱責され、翌二七日に、被告会社側は、谷口実の懲戒処分としての出勤停止と業務命令として原告らの武生劇場から宝塚劇場への配置換え、および、清水和幸、玉村徹の宝塚劇場から武生劇場への配置換えを、それぞれ従業員への回覧という形式で通告してきた。

(6) 当時被告会社では、宝塚劇場を閉鎖するという噂が流布されていたので、もし、原告らの配転が実行に移されたとすると宝塚劇場には、分会長(原告岩崎)、副分会長(谷口実)、前副分会長(原告谷口)のような分会役員や、組合の有力な活動家が集中することになつたうえ、しかも、劇場閉鎖ということにでもなれば、その劇場に勤務しているかぎり、そこの従業員が整理のため解雇ということになりかねないという雇用身分上の重大な不安感がみなぎるとともに、他方武生劇場には、分会脱退者や一般分会員のみが配置されることになつて、これでは、今後の組合活動に重大な支障が生ずるとの不安を禁じ得なかつた。

(7) そこで、翌二八日に分会は、被告社長に対して谷口実の出勤停止処分の徹回と、原告らの配転につき、円満な解決をはかるため団体交渉を申し入れ、二九日にはつぎのような被告会社側配置原案に対して、つぎのような分会の代案を提示した。

被告会社側原案

分会代案

宝塚劇場

岩崎安秀、谷口実、谷口三嘉得、川崎紘三

岩崎安秀、谷口三嘉得、清水和幸、玉村徹、

武生劇場

米持武信、清水和幸、玉村徹、釜矢聖和

米持武信、谷口実、釜矢聖和、川崎紘三、

ところが、被告会社は、にべもなく右代案を拒否したうえ、三〇日重ねて被告会社に対し、分会の要求として、代案での解決を要請した原告岩崎に対し、社長は「まだ配転に応じないでそのようなことをいつているのならば、このように処分する。」といつて、すでに用意されていたところの配転拒否を理由とした出勤停止一〇日間という通達書―懲戒処分―を原告岩崎に交付した。

(8) そこで、分会は、やむなくその日のうちに、地労委に対し「原告らに対する配転命令、ならびに、出勤停止通達の徹回と、谷口実の譴責処分の徹回」を要求したあつせん申請をした。ところが、その日のうちに社長は原告らを呼び出したうえ、「あなた方は社長である私のいうことを聞かないし、従業員のみんなに意見を聞いたら私のいうことが正しいというから大分考えたが、退めてもらう。改悛の情がないから懲戒解雇にすべきだが、それではあまり強すぎるので普通解雇にする。」という口実のもとに、口頭で以つて、解雇の通告をした。

右の各事実からすれば、右解雇は、明らかに不当労働行為である。

仮りに、前記解雇が不当労働行為にならないとしても前記のような事実からすれば、右解雇は、被告会社の就業規則所定の解雇事由に籍口してなされた解雇権の濫用であつて無効なものである。

五、かくして、原告らは現になお被告会社の従業員たる地位を有するものであるから、本件解雇の意思表示のあつた昭和三五年一一月三〇日当時に、毎月二五日迄の賃金を、翌二六日に支払を受けていたから、同年一一月二六日以降の賃金についても、被告会社に対して、その賃金の支払を求めうるものであるところ、その頃原告岩崎が一ケ月一九、〇〇〇円、同谷口が一ケ月一三、〇〇〇円の各賃金の支払を被告会社から受けていたから、ここに、被告会社に対し、右解雇の無効であることの確認と、前記昭和三五年一一月二六日以降原告らに対し、前記賃金の割合に従つた賃金の各支払を求める。

第三、被告の主張

被告訴訟代理人は、つぎのとおり述べた。

原告ら主張の請求原因事実中、

一ないし三の事実は、これを認める。しかし、被告会社がした本件解雇は、つぎの理由によつて有効である。

すなわち、

一、本件解雇は、原告らにつぎのような事実があつたので、被告会社の就業規則第二二条第二項所定の事由に該当するものとして、普通解雇処分を行つたものである。

(1)  原告らを、従来の勤務場所であつた武生劇場から宝塚劇場への配転を命ずるに至つた経緯は、昭和三〇年七月二日、宝塚劇場勤務であつた映写一級技師粂田茂(主任)が、都合により、退職したため、同劇場には二級技師三名、見習一名となつて、責任者が欠けたため、観客から映写効果の点でいろいろ苦情が出るようになつた。

(2)  当時、武生劇場には、一級映写技師三名(主任米持)、二級技師一名という人員配置となつていたことから、同劇場の原告岩崎が一級技師として経験も古いところから、宝塚劇場の主任技師に昇格させたいと考えた。

(3)  ところが、当時被告会社には、労働争議が発生したため、その実現を得なかつたが、同年一〇月二四日に争議も解決したので、一一月二七日、原告岩崎を映写主任技師に昇格させたうえ、宝塚劇場勤務に、原告谷口を同じく宝塚劇場勤務とし、清水和幸、玉村徹の両名(両名ともに二級技師)を武生劇場勤務とする配置転換の辞令を出した。

(4)  ところが、原告らは、右配転が原告らに不利益取扱であるばかりか、原告らが組合活動を行つたことを理由とする不当な配転であるとして、社命を無視して指定職場に勤務をしなかつた。

けれども、武生劇場と宝塚劇場は、労働条件なども全く同一であつて、客観的にみて、何ら不利益取扱となるものではなく、しかも、被告会社が、原告らを雇傭するに当つて特に、宝塚劇場、若しくは、武生劇場というように勤務場所を特定して雇傭したこともなく、現に、原告らも、かつて、宝塚劇場に勤務していたこともあつて、両劇場の距離は歩いて三、四分位のものである。

(5)  しかも被告会社が、原告らに配転を命じた理由は、前記(1)(2)のような事実によつたものであつて、労働安全衛生規則第四〇六条をみても明らかなとおり、事業主には、映写室には、一級映写技師一名を選任して所轄労働基準監督署長に報告しなければならない義務が負わされている。

原告らが右配置転換を拒否したので、被告会社は、業績向上のためと、労働全安衛生の建前上、あらたに一級技師一名を雇傭しなければならない必要に迫られたのであり、このことは、まさに、就業規則第二二条第二項にいうところの「やむを得ない業務上の都合によるとき」に該当するものである。

二、本件解雇は、前敍のような事情から被告会社就業規則第二二条第二項の「やむを得ない業務上の都合によるとき。」に該当するものとして行われたものであつて、同号には、使用者側のみの帰責事由に限定せることなく、従業員側に存する事由をも包含するものと解すべきである。

すなわち、原告らの行為は、社命を無視し、指定の職場に勤務しないので、就業規則により、懲戒解雇にすべく考え、全従業員の意向を確めたが、仕末書を提出せしめて出勤停止処分にするを相当とするとの意見が大部分であつたので、一一月三〇日出勤停止処分をするとともに、あわせて、仕末書を早刻に提出するように命じ、もし、仕末書を提出するならば出勤停止処分の程度で許し、それ以上の厳重な処分をしないことを伝達したが、同日夕刻に至つても、原告らから、仕末書の提出がなかつたので、更に、全従業員の意見を求めたところ、懲戒解雇もやむをえないという意見が多数であつた。そして被告会社としては、本人の将来のことも考え、本人のため有利な業務上の都合による解雇として取扱つたものであり、右のような解雇方法は、解雇自由の原則により、当然に許されているところである。

第四、証拠<省略>

理由

一、原告ら主張の請求原因事実のうち、第一項ないし第三項の事実は当事者間に争がない。

二、被告会社は、「原告らを普通解雇処分にしたものである。」というので、右解雇事由の有無を、これに関連する事情にふれながら明らかにする。

(1)  被告会社の映写技術者の配置

成立に争のない甲第五号証と、原告両名、および、被告会社代表者の各供述を総合すると、

(a)  労働安全衛生規則第四〇六条は、事業主に対し、映写室には一級映写技師を作業責任者として選任し、これを、所轄労働基準監督署長に報告する義務を課しているところから、被告会社は、武生労働基準監督署に、武生劇場については、昭和二六年九月七日に、米持武信を、宝塚劇場については、まず昭和二九年三月一八日に、原告岩崎を、ついで、昭和三一年四月二一日に、粂田茂を、それぞれ主任技師として選任した旨の届出をなしていること。

(b)  そして昭和三五年七月二日に、右宝塚劇場勤務の主任映写技師粂田茂が、退職した結果、右劇場の映写技師は、二級技師二名、見習一名の配置となり、他方、武生劇場には、一級技師二名―主任米持武信と、原告岩崎で、原告谷口は当時はまだ二級技師であつた。―二級技師二名という映写技師の配置であつたこと。

(c)  また、被告会社は、当時、新館ロマン劇場の建築を計画し、その映写主任技師として、原告岩崎を予定し、同年八月二〇日には、同人を被告会社事務所に呼び、社長、および大木支配人で以つて、ロマン劇場には武生劇場と同じメーカーのローヤル全密閉の映写機を据付けるから、主任技師として、就任するように懇請していたこと。

(d)  さらに、被告会社は、原告両名を解雇処分にしたのち、一級映写技師横山某、若森某の両名を雇傭し、宝塚劇場勤務としたが、労働安全衛生規則第四〇六条にもとずくところの、宝塚劇場における主任技師の選任報告屈出は、いまだになされておらないということ。

を認めることができる。

(2)  組合の結成

証人谷口実、同黒川千恵子、同松本信也の各証言、ならびに前顕原告両名の各供述を総合すると、

(イ)  原告谷口は、昭和三五年五月頃に、武生と、宝塚の両劇場の映写技師に、組合の必要と、その結成を働きかけたところ、同年七月二四日、原告らを含んだ両劇場の映写技師六名が合同労組へ加盟を申し込むようになつたので、右六名で以つて分会を結成した。ところが、被告会社従業員に対し、その頃原告らが積極的に働きかければ、原告らの組合智識、能力を信頼して、多数の加盟者がでるということが予想されたということ。そこで、取りあえず、右分会は、分会の役員として分会長だけを選任することにして、原告岩崎を分会長に選出したこと。

(ロ)  その後、右分会は、一六名の新加盟者を得て、その会員は総数二二名となつたということ。そして、八月二六日、武生市産業会館において、あらためて分会としての結成式を行い、その席で役員の改選を行つた結果、分会長に原告岩崎、副分会長に谷口実、書記長に清水喜作、会計に原告谷口などの役員を、それぞれ選出したということ。

を認めることができる。

(3)  賃斗

成立に争のない乙第八号証ないし第二〇号証の一、二、第二三号証と、前顕の証人谷口実、同松本信也の各証言と、原告両名、被告会社代表者の各供述を総合すると、

(イ)  分会は、同年九月一三日に被告会社に対して組合の結成通告を行うと、同時に、同年八月渡しの給与を基準に、九月渡しの給与からの四割の賃金引上の実施の要求を行い、同月一五日を第一回として、数回にわたり団体交渉を重ねたが、分会は、被告会社側の回答を不満として、同月一九日には、分会臨時大会にはかりスト権を確立したうえ、被告会社側にスト通告を行つた。その後、被告会社側から、同月二〇日午前一〇時までに、内容にふれた誠意ある回答をし、翌二一日午後一時から団体交渉に応ずる旨の回答などもあつて、分会は、当初予定した二〇日からの無期限ストを撤回したこと。

(ロ)  しかるに、右二〇日の午前中、社長は在宅しながら、分会に対し、約束に基づくところの応答をせず、しかも翌二一日には、夫人とともに行先をくらましたので、分会は、被告会社のかかる不誠意にかんがみて、ただちに、二二日から二三日にわたる四八時間ストを決議して、決行することにするとともに、同月二二日、地労委に団体交渉のあつせん申請を行つたということ。

(ハ)  さらに、同月二三日、被告会社側は、同月二五日午後一時までに内容にふれた回答を行うことを約したので、当二五日午後一時合同労組書記長松本信也と、原告岩崎が、被告会社と正式に団体交渉を行つたその席で、被告会社社長は「ストライキをするような組合だから、経営に自信を失つた」などという発言をし、何ら内容にふれた回答をしなかつた、のみならず、分会側に対し、挑発的な態度に出たのであつた。そのため、当日の団体交渉は、僅か一五分位で物別れとなつたがその翌二六日、早朝に至り、被告会社側は突然に、両劇場正面に「廃業」という貼紙―もつともその後「廃業」を「休業」に貼り変えた―を行つて、積極的に、組合攻勢に転じてきたということ。

(ニ)  しかし、とにかく翌一〇月二四日に至つて、地労委のあつせんで労使間に平均二割六分の賃金引上を、一一月分以降の賃金について実施するなどの協定が成立して、争議は、一応解決したということ。

を認めることができる。

(4)  争議解決後の分会

成立に争のない乙第一号第二号証と前顕の証人谷口実、同黒川千恵子の各証言と、原告両名の各供述を総合すると、

被告会社が興行再開後、被告会社の社長夫人は、社長の意向をうけて、女子従業員に対する監督を、争議前と比べて一層厳しくするとともに、賃斗中の分会員の組合活動などに関する質問をすることなどによつて、組合活動家に対し、圧力を加えたり、また、いやがらせをしたりしたのみならず、分会委員森谷しづ子らに対し、組合活動から離脱をするよう説得したということ。そのため、一一月九日に、右森谷ら四名の女子分会員が組合の脱退を屈け出たということ。

以上のことから、分会員間に「組合に残つていると、職場でいろいろと不都合がある。」という理由のもとに、翌一〇日に、四名、一一日に一名、一二日に二名、一四日に三名という大量脱退がでて、当初二十三名であつた分会員も、同月一四日には僅か七名になつて、分会は、結成後、しかも賃斗解決後日浅くして壊滅的状態にまで追い込まれたということ。

を認めることができる。

(5)  懲戒処分および解雇

前出甲第五号証と、成立に争のない乙第一号証、第二号証、第五号証、第七号証の一、二、第二六号証、さらに証人清水和孝と前顕の証人谷口実の証言によつていずれも成立の真正を認め得る乙第三号証第四号証と同人らの各証言と、原告両名、および被告会社代表者の各供述を総合すると、

(イ)  同年一一月二七日、被告会社は、分会員七名のところ、(a)分会長原告岩崎と、分会委員原告谷口の両名に対し、武生劇場から宝塚劇場へ、(b)分会員清水和幸と、同玉村徹の両名に対し、宝塚劇場から武生劇場へ、それぞれ配置転換を命じた。ほかに、副分会長谷口実に対し、懲戒処分として、出勤停止――その理由とするところは、「物価も昇ることだし、新館ロマン劇場が建つたら、また活発に組合運動をやろう。」という趣旨のことを、口外したことにあつたが、その後、同人から、今後賃斗ということを口外しない趣旨の仕末書を被告会社へ提出したことにより、撤回された。―処分を行つたということ。

(ロ)  もし、右配置転換が、実施されると、昭和三五年一一月二四日、当時すでに社長から組合の脱退について、勧誘をうけて、分会脱退の意思を非公式ながら表明していた武生劇場主任技師米持武信のしたに、分会員である清水、王村、釜谷が配置されることになるので、同人らが、被告会社側の意向を受けた右米持から、いろいろと懐柔を受けて、組合を脱退することにでもなれば、分会員は、七名から更に、四名にまで減員して、実質的に、分会は崩壊するにいたるという、危惧の念を、原告らが、強くいだいたということ。原告らは、右のような危惧の念をいだいたからこそ、前記被告会社の配転命令の拒否の態度に出たということ。

(ハ)  右(ロ)のような事情から、分会は、同月二九日、原告らが、どうしても宝塚劇場に行かなければならないのなら、被告会社の指示に従うけれども、今後の武生劇場内における組合活動のことをも考慮して、分会の提示した配転代案計画を実施してもらいたいと、被告会社武生劇場支配人大木文雄に要請したということ。そして分会が提示した配転計画というのは、

宝塚劇場へは、原告岩崎安秀、同谷口三嘉得、清水和幸、玉村徹を出向させ、

武生劇場へは、米持武信、谷口実、釜矢聖和、川崎紘三を出向させ、

るという内容のものであつたということ。

(ニ)  また、被告会社従業員は、こぞつて、一一月二七日に行われた原告らに対する配置転換を目して、被告会社側が、原告らの組合結成、およびこれに引続く賃金引上斗争での組合活動を非難し、これら組合活動を制裁するためにとつた措置であると、理解するとともに、自己の地位の保全のためには、今後組合に無関心であることが必要である、と、まで感ぜさせられるに至つたということ。そのために、一一月二八日、被告会社が、会社従業員に対し、原告らが、配転を拒否したことを理由として、懲戒処分―出勤停止―を、行うことについて、その賛否を回覧によつて聴取した結果は、原告谷口を除くその余の二六名が、社長の右懲戒処分案に賛成しているということ。被告会社は、多数の従業員が、会社の右懲戒処分案に賛成したものとして、一一月三〇日午後二時頃、原告らに対し、原告らの配置転換命令拒否を理由として、一〇日間の出勤停止処分を通達するとともに、原告らが、配置転換の業務命令に従わなかつたことの、何らかの、仕末書を、即刻提出するように命じたということ。原告らは、被告会社に対し、原告らが被告会社の配転命令に従い難い事情は、前記(ハ)の分会の配置代案を提示したことからも明らかなように、原告らの配転とともに、他の映写技師の配転についての再考を要請していることに、尽きているものであることから、被告会社の要求する仕末書の内容は、単なる配転命令拒否の理由でなく、原告らが将来会社内で、組合運動をしないという趣旨のものであると信じて疑わなかつたということ。そういう事情から、原告らとしても、被告会社の要求する仕末書を即刻に提出することを、ためらつていたということ。被告会社は、原告らに、出勤停止を行うと、すぐに、再び、出勤停止を行うに際して採つたと同一方法でもつて、原告らを、懲戒解雇処分にすることについて全従業員の賛否を聴取しており、その時には、清水和幸、川崎紘三、谷口実の分会員三名が、これに不賛成のほかは、二〇名の者が、被告会社の処分案に賛成したということ。被告会社から右のような、出勤停止―懲戒処分―を受けた原告らには、右出勤停止処分を無視するとか、それに反抗して、被告会社に対し、不穏当な言動をしたとか、という形跡も認められないこと。それにもかかわらず、被告会社は、原告らを被告会社から排斥してしまうという強硬な態度のもとに、原告らを、出勤停止処分にした当時からすでに、懲戒処分という含みがあつたかのような、しかも予定の行動でもあるかのように、一〇日間の出勤停止処分の通告後、僅か七時間を経過したにすぎないのに、被告会社が出勤停止処分とともに、原告らに命じた仕末書の提出を即刻に、行わなかつたという単なる一事を、事重大なるもののように構え、しかも不提出の理由を被告会社は原告らにただすことなく、独善的に、原告には自省自戒が認められないと断定したうえで、追い打ち的に、被告会社の就業規則第二二条第二項―やむを得ない業務上の都合によるとき―に基づくものと称して、―実質的には懲戒解雇処分であるが、労働基準法などに基づいたところの予告手当金一ケ月分と、退職金を提供―原告らを、普通解雇処分にする旨の通告を、行つたということ。を認めることができる。

以上(1)から(5)の認定事実に反する証人林秀勧の証言と、被告会社代表者の供述の一部は、にわかに採用できなく、他に、右の認定事実に反する証拠はない。

原告らは、本件解雇は、不当労働行為であつて無効であると主張するが、前記認定の全事実をかれこれ総合すると、被告会社が行つた原告らに対する解雇の意思表示には、外形的には、不当労働行為―組合への支配介入という意味において―を推認せしめるふしが必ずしも存在しないものではないが、しかし、いまだ、ただちに被告会社側に、右不当労働行為についての主観的な認識、ないし目的があつたと、断定するに足る証拠は、原告らの全立証によつても、これを見出すことができないことから原告らの右主張は理由がない。

つぎに、原告らは、本件解雇の意思表示は、権利の濫用であつて、無効であると主張するので、審究するのに、懲戒処分中解雇は、労働者を企業外に追放する極刑ともいうべきであるから当該労働者を、それ以下の懲戒処分に附して、反省の機会を与えることが無意味であつて、企業秩序維持の必要上、当該労働者が企業内にとどまることを許す余地が、全くない場合に行われるものと解すべきである。そこで、前記認定事実を、総合してみると、被告会社の原告らに対する本件解雇処分は、まさに解雇権の濫用として著しく不当であり無効といわねばならない。ところで、被告会社は、原告らが被告会社の配転計画に従わなかつたため、業績の向上のためと、労働安全衛生の建前から一級映写技師一名を解雇せねばならなくなつたので、原告らを被告会社就業規則第二二条第二項に基づいて普通解雇処分に付したものである、旨抗争するも、この主張が採用するに由なきことは、前掲認定事実に徴し明白なところといわねばならない。尤も、被告会社は、原告らを解雇処分に付したのち、一級映写技師二名を雇傭したものであることは、前記原告岩崎および被告会社代表者の各供述によりこれを認められるけれども、右事実は前記認定をなすについていささかも妨げとなるものではない。従つて原告らは引続き被告会社の従業員たる身分を保持しているものといわねばならない。そして、被告会社が原告らに対し、昭和三五年一一月二六日以降の賃金の支払をしていないことは被告会社の認めて明らかに争わないところであり、成立に争のない乙第五号証、第六号証の一、二によると、原告岩崎は昭和三五年一一月当時、一か月金二〇、〇〇〇円―本訴請求におけるそれは金一九、〇〇〇円―の賃金、原告谷口は同じく一カ月金一三、〇〇〇円の賃金を、それぞれ毎月二五日までの賃金を翌二六日に、被告会社からその支払を受けていたということが、認められる。

ところで、原告らは本件において、昭和三五年一一月二六日以降雇傭関係の終了するまで、前記賃金の割合に従つた将来の賃金請求―一部既存債権となつている―をしているのでこの点について検討する。

いうまでもなく将来の給付の訴は予めその請求をする必要がある場合に限り許容されている。ところで、原告らの請求のように使用者に対し、雇傭契約が終了するまでという永い将来にわたつてまで、賃金の支払義務を負担させるということは、賃金の支払が、労働の提供を前提とした対価である、と考えると、原告ら労働者の不就労のままの状態で以つて、原告らの将来の就労を予定したうえ、予め将来の賃金につきその支払義務を使用者たる被告会社に負担させるのは不相当のように考えられる。けれども、本件の如く当該紛争につき裁判所が公権的判断を下した以上、使用者は、労働者の就労申し出を受け入れるなり、又使用者から労働者の就労を請求するなどによつて、右のような問題は解消せられるのである。仮りに、若し、労働者が使用者の就労請求に応じて職場に復帰しないというような事態が生じるならば、当該労働者に対して、使用者に具体的解雇権が発生するから、その時、使用者には多少不便であるかも知れないけれども、本件判決の執行力排除について右解雇事由を以つて請求異議の訴などを提起のうえ、裁判所に対し強制執行の停止を求めうるのである。

それに引き換え、使用者が労働者の就労請求を拒否して応じないときには、何時までも労働者は使用者から就労と、賃金の支払を拒絶されることになり、このことは、賃金収入を主要な生活の資とする労働者にとつては回復すべからざる損害を蒙ることになるから、格別に将来の一定期間を附して使用者に賃金の支払を命ずることは妥当でないと解するを相当とするのである。

従つて、被告会社は毎月二五日までの賃金として翌二六日に原告岩崎に対し金一九、〇〇〇円、原告谷口に対し金一三、〇〇〇円の割合に従つた賃金を昭和三五年一一月二六日以降原告らにそれぞれ支払うべき義務があるものといわなければならない。よつて、以上のとおり原告らの本訴請求は全部正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言について同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 後藤文雄 服部正明 重村和男)

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